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わたしとインターネット/初めてのファンレターと数年越しの再会

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

『ホームページを作成しました! http://www.~~~』

小学生の頃に愛読していた漫画雑誌にこんな作者コメントが載っていた。1990年代後半の話だ。父親に頼み、掲載されているコンテンツを印刷してもらった。

オリジナルのイラスト、オリジナルの小説、ちょっとしたコラム。幼い私が得られるコンテンツは『すでに家にある漫画』か『毎月発売される漫画雑誌』しかなかったが、そのホームページはまさに『新しいコンテンツ』だった。これが私とインターネットの出会いだ。

 私は特に掲載されている小説にのめり込んだ。普段読んでいる漫画雑誌とは明らかに対象年齢が違う冒険小説。読めない漢字に出会っては調べ、戦闘描写を幼い頭ながらに妄想する。そんな体験が更に自分を夢中にさせた。イラストコーナーには登場人物たちのイラストもあり、彼ら彼女らの活躍を脳裏に思い描き、頭の中で戦わせた。同級生たちとは違う媒体から得ているコンテンツであることも、どこか特別感を際立たせていたように思う。自分だけが知っている、秘密のコンテンツのようだった。

 

時は経ち、中学生か高校生の頃だったか。自分でインターネットに触れるのが容易になり、真っ先にそのページを訪れた。悲しいかな、愛読していた小説はコンテンツから消えていた。何があったのだろうか。度重なる引っ越しの中で、印刷していた小説たちも紛失してしまっていた。掲載されているから、また読めるだろうと高を括っていたのもある。またあの作品が読みたい。

メールフォームから問い合わせるまでは早かった。小学生の頃から漫画を愛読していたこと、掲載されていた小説を何度も何度も読んでいたことを書き、また小説が読みたく、続きも楽しみにしている旨を、自分なりに丁寧に書いて送信した。思えばこれが、作品の向こう側に居る作者への人生初めてのファンレターだった。

驚いたことに返事が届いた。オリジナル小説は、いずれ別の形で世に放つために構想を練り直している。そんな嬉しい内容だった。同時に、遠い存在だった漫画家の先生とやり取りができたことに感動を覚えた。すごいぞインターネット。「届く」んだ…!これは今でも応援のファンレターを出したり、素晴らしい顧客体験をした時にその会社にメッセージを届ける習慣の原体験になっているように思う。

 

さらに時が経ち、私はお酒が飲める年齢になっていた。インターネットが当たり前になった後も日課のようにそのホームページを訪れていたある日、例の小説が漫画になるというニュースが掲載されていた。メールフォームから歓喜の声を送るまでは早かった。先生は私のことを覚えてくれていた。こんなに嬉しいことがあるだろうか。

 

子どもの頃に出会ったインターネットは、文字通り「知らない世界」への入り口で、その世界は好きな作品の作者にもつながっていた。今やSNS等を通じてもっと(手順としては)気軽にメッセージを送れたりもするのだが、思い切ってメールを送ったあのときの思いと、返事を頂いたことによる「届くんだ」という喜びは大きな財産になっている。失礼ではないか、迷惑ではないか…そう心配しながらも送信ボタンを押したインターネットの大冒険だ。

 

今や誰もが作品を発信でき、誰もがその感想を届けることができる。直接届けずとも感想記事、ツイートというカタチにすることもできる。インターネットはよく海と形容されるが、であればコンテンツは灯火だろうか。海を漂いながら灯りをたどり、時に自身でも灯りを発する。その過程でなんだか気の合う仲間が見つかることもあるかもしれない。何が何につながるかわかったもんじゃない。

届けたい思いは届けていこう、ありがたいことはありがたいと言おう。あなたの作品に、行為に、行動に、喜んだ人がここにいるぞと、思いを形にしていく。誰のためでもない、自分のために。自分が大事にするものを大切にするために。小学生のころ大ファンだった先生と今なお交流ができていることは、私とインターネットの関わりを象徴する一つの財産だ。