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『三体X』感想/作品の立ち位置と筋違いの期待を煽る宣伝の呪い

『三体X』読みました。『三体』シリーズの感想記事も書けていないけれど、(Ⅲを読んでいる間にⅠ、Ⅱの記憶が霞むくらいのスケールになってしまって途方に暮れてるうちに書き時を見失った)読んだ時に書いておけの精神で書く。

結論から言えば、「楽しかったような気がするんだけどしっくりこなかった」になる。しっくりこなかった原因が作品そのものだけではなく、宣伝の仕方や持ち上げ方によるものでもあるため、なんともむずがゆい気持ちになってしまうのが惜しい。

三体、および三体Xのネタバレにまではならないと思う範囲で感想を書きたい。

三体X 観想之宙

《三体》の熱狂的ファンだった著者・宝樹は、第三部『死神永生』を読み終えた直後、喪失感に耐えかねて、三体宇宙の空白を埋める物語を勝手に執筆。それをネットに投稿したところ絶大な反響を呼び、《三体》著者・劉慈欣の公認を得て、《三体》の版元から刊行されることに……。ファンなら誰もが知りたかった裏側がすべて描かれる、衝撃の公式外伝(スピンオフ)。

【7/6発売】『三体X』気になるあらすじは?【電子同日発売です】|Hayakawa Books & Magazines(β)

dego98.hatenablog.com

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読むにあたってマインドセットが必要

先に引用した通り、本作は三体ファンがとてつもない熱量で執筆した二次創作である。筆者『公認』とあるが、本作で"明かされた"謎を正史としたわけではないことを頭に入れる必要がある。

劉慈欣先生は信じられないほど寛大な配慮を示し、この作品の出版を許可して、ぼくの背中を押してくれた。劉慈欣先生には、いくら感謝してもしきれない。『三体X』の単行本が出版されると、ただちに劉慈欣先生にお送りした。数年後、ぼくがオリジナルの作品をいくつか発表して、正式にSF作家の仲間入りを果たしたあと、劉慈欣先生とはよき友人になった。劉先生は『三体X』をなかなかいいと言ってくださり、しかも翌年のあるSF文学賞で一票を投じてくれた。

『三体X 観想之宙』著者・宝樹によるまえがき公開~『三体X』はいかにして書かれたのか?~|Hayakawa Books & Magazines(β)

本作のまえがきは上記の通りwebで公開され読むことができる。筆者自身もこのまえがきでこのように述べている。

もちろんぼくは、この『三体X』が、本家である《三体》シリーズの一部だとは口が裂けても言えない。たしかに『三体X』は、三部作と同じ出版社から発売され、三部作のとなりに並んで販売されている。しかし、『三体X』は、《三体》三部作の熱烈なファンが、個人的な解釈によって、原典の中にあるいくつかのギャップを埋め、謎を説明しようとした試みであり、《三体》宇宙のありうべき無数の可能性のうちのひとつに過ぎない。

というわけで、そういうマインドセットで読むべき作品なのである。しかしながら、日本での出版社が"ファンなら誰もが知りたかった裏側がすべて描かれる、衝撃の公式外伝(スピンオフ)。"と紹介していたり、帯でも"劉 慈欣公認、必読の『三体』公式外伝降臨!!"と表現している。そこの持ち上げ方のミスマッチが、私の中でずいぶんとモヤモヤしてしまう。

確かに、ファンの二次創作がオリジナルの著者の許可を得て出版され、ここまで大々的にヒットするのは業界では異例中の異例の快挙なのだろう。それは本当に素晴らしいことだとは思う。しかし公式外伝ではないでしょうよ。

あくまで「劉 慈欣もアイデアを認めたIFストーリー!」的な持ち上げ方であれば、もう少し素直に読めたかもしれない。

オリジナルの設定補完にこれでもかと踏み込んだ熱量

というのも、本作は『三体』本編では語られなかった場面をとんでもない熱量の妄想で描かれている作品だからである。その熱量とアイデアの突き抜け方は、たしかに賞賛を持って迎えられるべき形になっている。

本編では描かれなかったサイドの話、本編でちょっと触れられたけど謎のままだった要素、本編で描かれた後の事象について、確かに散りばめられていた要素やキーワードを巧みにつなぎ合わせ、「こんな事がありえたかもしれない」と肉付けしている。本編で描かれた世界観やスケールをそのまま汲み取っているように見えるので、本当に何度も何度も読み返し、練りに練って描かれた作品だということがわかる。この熱量は祝福されてしかるべき。

本編ではない。わかっちゃいるけど。

若干『三体X』のネタバレにはなるが、序盤の雲天命と艾AAの会話劇はちょっと読みづらいところがあった。「本編では描かれていなかった間にこんなことがあったんだよ」を語り倒すようなシーンなので、艾AAが「ええっ!そんなことが!ひどいわ…」を繰り返すbotみたいになっていたのがちょっとむずむずした。展開上仕方ないのだけど。

そう、展開上仕方がないのだけれど的な歪みがそこかしこにあって(必要以上に強調される智子についてのアレとか、艾AAや程心の心情描写とか…本編ではそうはしなかったろうな…と思う部分)、二次創作っぽいノリだなぁと思う部分があり(二次創作ノリを否定するつもりはありません。念のため)、その都度「いやまぁ作者自身そう言ってるんだけど」「それを公式外伝的な売り方にする心構えはどうなの」と不要な雑念が頭に浮かんでいた。

よくもまぁこんなスケールで物事を考えるわね

とはいえ、『三体』シリーズの信じられないスケール感を敬愛する筆者だからこそ、こんな更にぶっ飛んだスケールの作品が書けるんだなとも思った。おいおいおい、そこまで踏み込んで設定を考えてしまうのか!!と驚く場面もしばしば。

このあたりは、本編で"語られなかった"ことに対する蛇足かもしれないし、語られなかったことに対する愛のある考察、妄想、表現とも言える。

 

ここから先は、三体Xの結末についての若干のネタバレとなります。「こんなことがあった」と直接は書きませんが、オチに対する感想になるので、未読の方はご注意ください。一旦CMです。

 

 

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そのスケールの中で訪れる、現実的なオチ

こんなに風呂敷を広げておいて、たたむ時の最後!!「そんな想像してなかったわ!すげー!!」と思っていたのに、最後に用意されていた終劇手法は、王道と言うのか、ありがちというか、手垢の付いたやり方というか…。

こういうのが好きなんでしょ??みたいなやり方だなぁ。いや、実際こういうのが好きだわ~~!!って思う作品もある。この手法がとっても効果的に働くケースもある。

ただ、ここまで妄想の限界突破をしてきた本作の割に、ずいぶん置きに行った手法だなと感じた。熱量の温度差に風邪を引いてしまうわ。そんなゴール地点に収まって良いスケールじゃなかったでしょうよ。

なんとも難しい読後感

SF偏差値が低いのもあり、難しい用語や細部まで緻密に描写するような過程においては若干読み飛ばしつつの読了となったが、『三体』を題材にファンの愛情を爆発させた素晴らしい作品だとは思った。

しかしながら、冒頭で述べたように「このような形で宣伝・出版展開すること」についての是非はあるような気がした。それを割り切った上で読みなさいよ、というのは簡単だが、そうではないプロモーションの仕方をしているように見えてならない。

こういう売り出し方でなかったら読まなかったかもしれないなぁ。三体シリーズは読み返すことがあったとしても、『三体X』は読み返さないと思う。そういう世界線があったかもしれないね、と記憶の片隅には残るけれど。

三体