DegoReco

でごのつづるレコメンド。レコード。おすすめと、記録。

【日記】「見て、あそこに"暮らし"がある」

土用の丑の日、未だに由来も日取りもわかっていないが、なんとなく風習には乗っかる。

乗っかれているのか?

 

日記に関する古賀さんの動画を視聴して、まんまと日記が書きたくなる。まんまと…というか、書きたい書きたいと思いながら行動に移せなかった自分の背中が押された気がした。

youtu.be

「でかいマンションとか団地とかを見て、光一つひとつに生活があると思うとゾッとする。ゾッとするし、心強くもあるような」という言葉を聞いて、お嫁さんにドタバタと声をかけた。私がよくお嫁さんに言うような話だったからだ。

街を歩いていたり、電車で町並みを眺めていて大きなマンションを見つけると「あそこに"暮らし"がいっぱいあるね」と声をかけることがある。「"暮らし"って呼んでるの?」と返されるのがセットなのだけど。あれ、古賀さんの話とちょっと違う?でも共通しているはず。

他の人の暮らし…と書いて、思い出すことがある。小さい頃、自分が見ていること、考えていること…ひっくるめた"自我の世界"が、他の人にもあるはずなのに、それを自分は知り得ることがないことに恐怖というか、途方もなさというか…どうにもならなさを感じることがあった。

「あの人にも、自分と同じ用に自我があり物事を見ていて、感じているはずだ。」"一人称"の世界があるはずなのに、私はその世界を体験することはできない。いや、"ある"と断定できない。どうしたって、私にとっては"私の見ている世界"にいる、"私以外の人"になってしまう。

隣の部屋の人達にも、あのタワマンに住んでる人たちにも、テレビの向こうの人にも、その人自身の自我を持つ世界がある。それぞれが"暮らし"ていて、感情があって、過去もあって…なんてことを考えることがある。この感覚に共感できる人はいないかな。

先程の動画の話に戻る。書き続ける中で、ちょっと工夫をしたいのであれば"感想を禁止"するという提案があった。見たこと聞いたことの事実をベースに書いていく。それを続けていると、自分がどう思ったかを観察できるようになり、「感想を出来事のように書けるようになる」と続いた。「感想を出来事のように書く」。何か大事なキーワードのように心に残った。

古賀さんの本を読みたいと思う。古賀さんはデイリーポータルZの拾い食い企画(安全なやつです)で、ゲラゲラ笑いながら拾い食いをしていたのが最高に好きだ。

dailyportalz.jp

ちょっと踊ったりすぐにかけだす