DegoReco

でごのつづるレコメンド。レコード。おすすめと、記録。

随所に用意された"反応"が、自分だけの冒険となる"手応え"を生んだ。『ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダム』(終盤ネタバレあり)

ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』(以下ティアキン)をクリアして1ヶ月半以上経つが、ろくに記事を書けていなかった。クリアして、祠をコンプして…まだコログや洞窟探しはあるけれど、一旦自分の中では区切りをつけた。

このゲームの何が自分をワクワクさせてくれたのか。自分がどう感じたのか、いろいろ書きたいことがありすぎてまとまっていない。

今日は一点だけに絞って書きたいと思う。タイトルにもある"手応え"の話。

  • 大筋の物語はあるものの"どういった順番に進めても良い"
    • 広大なマップで、多くのイベントやクエストが用意されている
  • 時間帯の概念、天気の概念が存在している

こういったオープンに設計された世界の中で、"自分がやったこと"に対して"きちんと反応がある"ということが、このゲームの没入感を誘っているのかなと思っている。"あれをやったらどうなるのか"、"この順番で進んだらどんな反応をするのか?"に対してきちんと反応がある。"自由"を用意し、プレイヤーの数だけある進め方に対し準備がされていること。この点に私は感動した。

他のオープンワールドゲームの経験値が乏しいので、似たように周到に準備されたゲームは他にもあるのかもしれない。本記事は"私がティアキンに対して感動した点"をピックアップするものなので、その点はご了承いただきたい。また、そもそも前作『ブレスオブザワイルド』(以下ブレワイ)でも実装されていたことにも触れている。

以下、ストーリーのネタバレに触れない範囲での紹介をメインに上記の内容に触れていく。

 

スポンサーリンク

 

 

序の口:天気や時間

天気や時間でセリフが違うのはもはや当たり前のように

吹き出しでも変化がある

天気や時間帯によって反応が違う。前作でも当たり前のようにあったし、まぁこれくらいはね?でもある。とても細かいこだわりを感じたのはハテノ村だ。

朝起きて学校に向かう子どもたちの動きを見ていると、ベッドから起きて支度して学校に向かう。それらの行動の合間に話しかけると、細やかにセリフや吹き出し表示が違う。おいおいおい、生きてるなぁ!

その他にも、「あの空に見える建物があるじゃろ…」的なセリフも、天気によっては「今は雲で見えにくいが、あの空に見える建物が…」に変わったりと、変化のバリエーションが想像以上に用意されていることに驚く。

エストの進行上の変化

・例えば「◯◯を10個ほしい」といったクエストがあった際、すでにそのアイテムを10個渡せる状態になるときには、それ専用のセリフが用意されている。「…って、もう10個持ってるの!?」みたいなリアクションが挟まって、"10個渡すかどうか"の選択肢が表示される。

「◯◯を10個ほしい」と言われて会話が終わり、もう一度話しかけて「10個集めてきてくれたのね!?」と反応が返ってくる仕様のほうが汎用性は高いように思えるが、そうせずに専用のリアクションが用意されているのが…好き…。

・クエスト一覧のテキストは随時更新されるが、"アイテム欄が一杯で報酬が貰えなかった"時専用の更新メモまであった。

「武器の整理をしなくては」

・とあるクエストの内容に触れてしまうが、「未知の生物を食べたい」と寝言を言う人がいる。物語上で未知の生物の正体を知っていると、「未知の生物って実はね…」と教えてあげるイベントが発生する。実はゼルダが大事にしている動物だと知ったその人は、その後寝言で謝罪を繰り返すようになる…。

天気や時間、クエスト以外にも"リンクの服装によるリアクションの変化”、"リンクの行動によるリアクションの変化"など、挙げ始めるとキリがない。

ネタバレ:クエスト進行上の変化

ここからはメインクエストの内容に触れるので、未クリアの方は注意頂きたい。ただ、ここから先に述べる内容こそが"自分だけの冒険になった"と感じられたキモとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

実は私、ゾーラとゴロンを助けたくらいの進行度で、コログの森でマスターソードの居場所を知り(まだ抜けなかったけど)、ミネル様のクエストも発生させてしまった。「あの雷に包まれた島、気になってたんだよね~」と行ってみたらさ。ははは。

「あの龍はなんでマスターソード刺さってるんだろう…」と思っていた状態で聞いたミネル様との過去回想シーンたるや!!!

龍の泪で「秘術使ったら人に戻れないからアカン」を見たあとだったこともあり、ミネルの回想シーンが進んで、マスターソードに聖なる力を…長い年月…ゼルダが…と紐解かれていくにつれてパズルのピースがハマり、「あーーーーーーーーー!!!!!!!!!」とクソデカボイスがでた。

「へなちゃんすごいよ。たまたま行ったところでえらいことが始まってやばいことを知ってしまった。すごいの手に入った」 「なにもわからん」

ティアーズ オブ ザ キングダムのジレンマ(ネタバレなし) - DegoReco

ミネル様の回想が終わると、「マスターソードの場所知ってるみたいだね」とも言われた。これはコログの森でデクの樹様に会う前だとそれに準じたセリフになるんだろうな。その後一目散にがんばりゲージを高めてマスターソードを抜き、残り2つの地方を助けに行った。

その後、ゼルダ(偽物)の影を追いハイラル城鬼ごっこをして、一旦砦に戻って…「次は五人目の賢者を…」という話題になる。するとリンクが「実は…」と身振り手振り話し、プルアが「ってアンタもう賢者様にもあってるしマスターソードも持ってるの!?」(意訳)といったリアクションをしてくれた。

これも専用のセリフがあるんかい!!おかげでワッカ遺跡に行くトリガーってあったのか?を知らないで進めてしまった。この「うっかり先のことをやっちゃった」体験のように、"自由に進められるからこそ用意されたストーリーを享受しそこねる"ことをデメリットを感じた人もいるようだ。

私以上に好奇心を持って本作をプレイしている人からは、たびたびこうした「好奇心で行ってみて、気がついたらストーリーや攻略の体験が台無しにされていた」ことに気がつくという例がぽつぽつ聞こえていた。
ニカイドウレンジ氏が指摘しているとおり、プレイヤーが狙って自由を行使できる場合であれば(例:このダンジョンを自作のゾナウギアでショートカットできたら凄いな。本当にできた!)楽しいはずだが、そうした狙いを持たずに「何か気になったから行ってみた」「気づいたら先にゴールにたどり着いており、何をショートカットしたのかわからなかった」というのは端的に損をした気分になってしまう。

ゼルダの伝説 Tears of the Kingdomが取り戻した「アタリマエ」だった3Dゼルダの魅力|じーくどらむす

しかし、私にとっては"自分なりに進めた結果に対してのリアクションが用意されている"ことへの感動が上回っていた。別に用意された展開じゃなくても、それはそれで楽しかったと思えた。マスターソードや白龍の真実も、龍の泪をコンプした後だったらあそこまで衝撃を受けなかったかもしれない。少し先回りしたからこそ、一気にパズルがハマる衝撃でクソデカボイスを出すことになった。

まぁ誰一人賢者を仲間にせず、また龍の泪もまったく見ずにいきなりミネル様行っちゃうみたいな極端なことをしてしまうと話は違うのかもしれないが…。

龍の泪を見終える前にマスターソードを抜いていたので、最後の龍の泪イベントの際にはちゃんと龍の頭からマスターソードが消えていた。私の冒険ではマスターソードを抜いていたから、龍の泪イベントの最後でアップになる龍にはマスターソードが刺さっていない。私の冒険だからこその演出。

 

大なり小なり、プレイヤーがなにかやることで、モノやヒトのリアクションが変化する。気が遠くなるくらいの条件分岐で変化のバリエーションが用意されている。それは、プレイヤー自身のプレイ体験に寄り添おうとする制作側の思いなのだと感じた。

他のゲームを引き合いに出すことは非常に申し訳ないのだが、一つ前にやっていたゲームで、ちょうど"自分のやったことが反映されない"ことに惜しさを感じていたので、尚更感動したというのもある。とても良いゲーム体験だった。安心していろんなことを試せる。他の人のプレイを見れば、新たな発見もゴロゴロ転がっているだろう。プレイヤー一人ひとりの冒険として成り立つようになっている。楽しかったなぁ。

 

おまけ:がんばりが足らずに料理でなんとかできないかな?と龍の上で料理をしてしまうリンク。(料理のバフは反映されなかった)(その後ゼルダと知って本当に申し訳ない気持ちになった)