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【サイボウズ式8周年】特に思い出に残る記事の紹介、そしてサイボウズ式を通じて変わった男の話。

 こんにちは。広げまくりマンこと、でごです。先日も学生とweb面談をした際、サイボウズ式を紹介しており、社内でもサイボウズ式の更新があればTeamsにお知らせするRSSのような存在と化している。

  

当ブログでも何度か紹介してきたサイボウズ式が8周年を迎えた。

このツイートに乗っかって #サイボウズ式8周年で思い出に残る記事をツイートしまくったら自分の出現率が異常なことになった。一人だけ何か溢れ出している。

 

 溢れ出しているのには理由がある。サイボウズ式、サイボウズと出会ったことは私を大きく変え、今の働き方への思いや価値観について語る際に切っても切り離せないからだ。 

「こんな取り組みをしている組織があるのか」ということ、「この考え方で働いている組織は、なんて素敵なんだろう」という憧れ。どの記事を読んでも、自分の中のモヤっとしたことが言語化されたり、新たな視点を得られたり、あるいは「あの人に読んでもらいたい」と思えるような、そんな出会いばかりだった。 

 

 仕事について、職場について悶々と考えているところに新たな光が差した。

サイボウズ式きっかけにサイボウズの働き方や理念を学び、イベントに足を運んでブログを書いた。サイボウズ式の記事や書籍を社内外に共有し、Twitterで出会った方とサイボウズの取り組みを題材に語ることだってあった。チームワーク総研の研修や雑談にも参加した。こうしているうちに、自分の社内外での行動が変わるようにもなっていった。 

今回は、特に思い出のある記事を抜粋して紹介しつつ、私がどのように影響を受け、どう行動が変わったのかをまとめてみたい。

サイボウズ式、8年も続けていると相当の量のコンテンツになっている。もし興味がある方はまずこの「特集一覧」から興味のある分野を見ていただくと良いと思う。

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働かされるのではなく、働くことを考えた。

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業界、会社、個人、それぞれの事情に合わせて自分たちで決めてくれればいい。休み方改革も含めた働き方改革だと思っています。

一律で何か決められないと動けない人。一律で決めようとすると「うちじゃあそれはできないよ」で1か0かしかできない人。"そう思い込む"人。

会社が決めたことでしか動けない…私もそう思い込んでいたし、そう考えていたらラクだった。プレミアムフライデー、ノー残業デーなんてのも、"みんな一律こうしよう"とはできないから仕方ないね。で思考が止まっていた。個人や部署によって柔軟に合わせればいい話じゃないか。というか、自分で考えてみればいいじゃないか。

「残業してなんぼ」のような価値観に違和感がある一方で、「残業するな」と上っ面の指導ばかりなのも違和感があった。

違和感も当然だ。当時の会社で起きていたのは、本質を見失い一律で決めようとしていたナニかだった。私はそういった「決めつける方々」が多い環境にいて、思考も視野もガチガチになりかけていた。

 

対談記事もインパクトがあるが、そのエッセンスがぎゅっとつまったこちらの記事も素晴らしい。

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このように、自分ができる範囲で仕事のやり方や仕事との向き合い方を変えていくのも立派な「働き方改革」です。

もちろん、個人で変化させられる範囲は会社の経営陣がトップダウンで施策を導入することに比べれば、かなり狭い範囲に限られます。それでも自分の意志で働き方を変えていくほうが、上からの一方的な命令で働き方を変えられることよりもずっと楽しいはずです。

 制度が一律で変えづらいとか、大局を変えるのは難しくても、自分の中で「こうしたい」というのを考えて、それに近づけるアプローチはしているのか?と考えるようになった。

それでもダメなら見限ってもいいんだ。 

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「もし、上司や社長に話しても、何も変わらなかったらどうすればいいですかね。」

「その職場を見限るしかないですね。そういう古い体質の企業は退場していくのが市場のメカニズムです。社員が見限ってどんどん転職すれば、自然に淘汰されますよ。」

 出口さんのファンになったきっかけでもある記事。この「見限る」というところには頭をスコーーーン!!と叩かれた気がした。

こうした「おかしいなぁ」と思うことがあっても、じゃあそれを自分でどうにかしなければ、変えていくアプローチをしなければ、とばかり思っていた。

一方で、「やってみてもダメなら、見限るのがいい」と教えてくれたのは、なんだか救われる気分だった。救われてばっかりだな。

子育ては、キャリアの中断ではなくてキャリアアップなんですよ。実証研究によると、子育てをすると賢くなりますから。

なぜ肩身が狭いかというと、その人のせいじゃなくて、職場のせいですよね? 何も考えていない職場だと、休む人の仕事をそのまま残りのメンバーにプラスオンしてしまうから、休む人の肩身が狭くなってしまう。

職場は、産休・育休をとる社員がいたら、それを機に全体の仕事を見直して無駄な仕事をどんどん削ったり、もっと効率的にできる方法を考えたりしなければならない。生産性を上げるためのいい機会なんです。

 後編も、もういろんな人に読んでもらいたい発言のオンパレード。人事担当として育休に入る人、帰ってくる人と話すことも多く、自分の中で守るべき価値観が固まる瞬間でもあった。あと育休取るぞという意識も強く芽生えた。まだ子どもはいないが。

本人にも、周囲にも。人間はそれぞれ、顔も考えも能力も全部違います。いろいろな人が働いているんだから、以心伝心で何もかもがうまくいくはずがない。ていねいにコミュニケーションを取って、交渉して、状況を改善していくんですよ。

(中略)

そういう対応をする職場や上司を放っておいたら、みんなが迷惑するわけですから、尻込みする必要はありません。管理者の適性がない人がいつまでも管理職にいては、社会は良くならないですよ。

 今読み返しても、本当に自分の大事にしているエッセンスが詰まっている。黙ってわかってもらおうじゃあダメだ。言ってみる。それでもダメなら、見限るのも一つ。 

 

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 この記事は最近の記事だが、これを読んだ時に真っ先に出口さんの記事を思い出した。やはり同じことを言っているのだ。まずは自分が楽しめるように自分の見方を変えてみる。おかしいと思ったことへはアプローチをしてみる。消費されずに、自分の蓄えになるようにする。無駄な方向へがんばりすぎないようにするのも大事で、逃げてもいい。

ただ、大抵は本来逃げるべき場所で、がんばり過ぎていて。だから、基本的には自分が「つらい」と感じたら、何かアクションを取ったほうがいいと思います。

 

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「他人の価値観を変えよう」とするのは、あまりいい努力とは言えないですね。本当に組織全体を変えるとなったら、5年、10年はかかる。

「人の価値観を変えるのって、コストの割にリターンが小さいですよ。」

 この対談もドンときた。組織を変えたい、上司の考えを変えたい…というベクトルでアクションを起こすことは、コストの割にリターンが小さい。

「文句言うだけでなく、それを変えようとアクションを起こさないと!」なんて使命感も働いてしまうが、自分が人を変えたいというのはまぁまぁのエゴでもある。いつの間にか「上司の価値観を変える」が目的になって、本来自分が大事にしていた価値観の先にある本質と目的に乖離が生じてしまう。

価値観がフィットする環境、仲間とともに、やりたいこと、達成したいことに向けて動いていく方がよっぽどリターンがあるように思える。一つ前の山口さんの記事にもある、ここに通じるのかなと感じた。

「いるべき場所にいる、これに尽きる」と。

本当にその通りだと思いますね。「ここは自分の居場所じゃない」と感じたら、まずは逃げなければならないのだと思います。 

 自分らしさとはなんだろう。そういうことを考えて悩むこともあった。

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「そうですね。僕は、たったひとつの「本当の自分」なんて存在しないと考えているんです。逆に、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」なんです。」

 分人の考え方は目からウロコ案件だった。私は10年以上「でご」というアカウントでTwitterをしている。(でごの名前は10年だが、いわゆる「HNでオンライン上のやり取り」の概念だと、20年近くオンライン上の顔があるとも言える。どうでもいい補足情報だ)

オンライン上の顔と言えども、私にとっては別のキャラクターを演じているわけでもなく、同じ自分だけど環境が違うような感じだ。それは、家族に見せる顔、職場に見せる顔、友人に見せる顔と違うのと同様なのだと、平野さんはおっしゃっている。

僕は人間が幸福に過ごす秘訣は、「自分が好きだと思える分人」を生きる時間をできるだけ長くすることだと思っているんです。

分人の構成比率は努力では変えづらいですが、環境、つまり付き合う人間を変えれば簡単に変化します。だから、心地よい分人の構成比率で働ける仕事や職場を選ぶことが大事なんです。

 HNがどうとかではなく、「こういうことが話せる間柄」、「こんな話題で盛り上がれる環境」みたいなもの。心理的安全性とも言い変えられるかもしれない。その環境に身を置くことは、心地よい分人の構成比率を高めることに繋がる。

なんとなく今の職場…今の部署では、自分の居心地のいい分人を出せていない気もしている。こういった心地よさも、自分のパフォーマンスに大きく影響してくる、し、自分の努力だけではどうにもならんよな…と改めて思う。

できることからやる。違ったら修正する。いきなりドカンとやろうと思わない。

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まずは小さくはじめて様子を見ながら、何かあれば修正していこうと考えていました。

「すべての連絡をメールで」の前に、「電話連絡網を廃止し、緊急時に一斉連絡が取れる体制を整える」など、「これならだれも反対しないだろう」というところから改革していったんです。

あまり難しく考えなくても、できることから始めていきましょう。間違ったらすぐに修正すればいい。とにかく小さな変革を始めてみればいい。私はそう考えています。

 私の中では、聖光学院と言えば歳内投手。ほぼ日で以前特集されていた記事でも印象に残っていた学校だ。その学校の話を、サイボウズ式で読むことになるとは、これもまた新鮮な出会いだった。

教育現場の働き方改革という、個人的には「変化が難しそう」「一律で物事を決めねばならない難しさがありそう」と思い込んでいたが、聖光学院(私立だからできることもあるだろうけども)アプローチの仕方と、その本質にある教育への向き合い方には首をブンブンふるばかりであった。教育の質、教師の質を高めるための働き方改革、これはぜひ記事を読んでもらいたい。

そして、何かを変えるときのプロセスの踏み方。変革の時代にあって、これが正解というやり方はない。まずはやってみて、違うと思ったら修正をしていく。慎重になりすぎずにやってみること。ダメなら修正していけばいいことを意識付けるようになった。

 

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このトライ&エラーについては後に山田さんの記事にもでてくる。

これからは、権限を持っている人が支配していた時代から、権限が解放され混沌とした時代に変わっていきます。答えが出ない時代だから、考えてもしょうがないと思うんです。

じゃあ何がいいかというと、「考えるより行動」なんですね。間違ったら次に行く。行動しながら学ぶことが大事です。

まずはやってみる、ダメならやめてみる。とにかく行動を起こして、答えを自分で見つけていく。逆にいえば、正しい答えを一生懸命考えなくてもいいんじゃないでしょうか。

今まで正解と思われていたやりかた、成功体験を踏襲するのも悪いことではないが、変化が求められる時代に、過去の成功に盲目的になっては柔軟な対応ができなくなってしまう。これらの記事は、特に昨今響くものがある。まさに変革している時代の中で、変化しようとしている方々と、固執してしまっている方々の差が浮き彫りになりつつあるように思う。 

 

※教育現場の実態については、青野社長が話を伺う形の記事もある。教育現場の話ではあるが、「前例や伝統には根強いファンがいる」といったことや「それは本当に教師がやるべきことなのか」といった話は、職場や地域、他の現場でも当てはまるような内容がある。cybozushiki.cybozu.co.jp

 職場で起きる問題は、組織に問題があることを教えてくれる

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たとえば「職場でうつになった社員が出てしまった」というのは、組織の問題が現れている状況だと思います。こうした状況を、大抵の企業は「うつになった人の個人の問題」として処理しがちです。

その人のストレス耐性や能力の問題として、細かい対応は産業医に任せ、休職させたりする。これって、先ほどの話でいう「投薬で無理やり苦痛を抑える」のとほとんど同じことですよね。

挙句の果てには「うつになるような人はそもそも採用しない」という方向にいってしまう。けれども、それって本当は「組織全体としての問題があって、そこに反応しやすい人がうつになってしまった」という状態なんじゃないかなと。

つまり、職場の一部の問題は、組織全体としての問題があることを知らせるアラートなんですよね。

 この記事は目からウロコとナミダがボロロロロと溢れ出す内容だった。

現場で問題が生じたということは、組織のあり方や制度、なにか今のやり方に問題があるのだということのアラートなのだ。問題の先っぽにある個人を切り離すことは簡単で、得てしてそういった対処療法ばかりするケースを多く見ていた。

問題を隠してしまうのではなく、問題があったときにどうしたら解決できるだろうと向き合うこと。組織の持つ問題が顕在化した時に向き合えるのかどうか。宇田川さんの挙げる例と、「べてる」で大事にしていることを教えてくれる向谷地さんの掛け合いは、学ぶことがとても多い。

打算的ではなく反脆弱性と言いますか、「苦労に向き合っていける」という強さを大切にしていくために、失敗を重ね、弱さを共有できる組織を作っていきたいです。

失敗こそ、その人が人生で得てきた、かけがえのない財産だと思うのです。

 問題を個人のものとされたり、大変な目にあってしまったりしたときに読むことで、大きく救われるような記事だった。 

自分が大切にしていることは何かを考える。違和感があるなら声に出す。

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漫画でサイボウズの文化や制度、考え方を描いてくれている連載も大好きだ。語られるエッセンスは他の記事でも、書籍でも、インタビューでも多く出てくる。それを実体験として感じたことが表現されており、語彙力を放棄して申し上げると「いいなぁ。」である。このいいなぁ、は自分が安心して浸れる…ということではなく、ここでは自分の事もちゃんと伝えて、他の人のことも聞けて、ぐいぐい自分で「やってみたくなる」環境だなぁとワクワクする類のものだ。

 

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明石さんのこの記事も、サイボウズ式らしくて良い。大変な思いをされた記事なので、良い良い言うのも恐縮だが、こういった辛かったこと、しんどかったことをそのまま発信できる文化ということが素敵なことだと思った。

複業で体調を崩してしまえば、「んなもん自己責任だろ」と言われてしまうのではないか。そんな不安を抱えてしまう。辛いとかしんどいとか、個人の問題として片付けられてしまうと、相談の一つもできなくなってしまう。

先程の「べてる」の記事にも通じるが、自分が不調に陥ったとき、「単に自分の弱さ」みたいなことでぼやかすのではなく、現実を冷静に確認して、向き合って、どこに問題があるのかを考えて見直すアプローチは、さすがだなと思った。

 

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明石さんはサイボウズを退職する。このエントリがババンとサイボウズ式に載ることも、サイボウズ式らしい。明石さんが思いをしっかりと表明して、周りの方々もそれを尊重して、この記事が世に出ている。

私は前職を退職したときのことを思い出していた。上司に退職意思を告げたとき、「君が決めたことだから仕方ない」と、特に深く聞かれることもなく、受理された。

なぜやめるのか?職場に問題があるのか?といったことを聞かれるのかと思っていたので、肩透かしを食らった気分だった。"私の意思の尊重"と言えば聞こえはいいが、これを契機に何か職場に問題はないのか、変えるべきことはないのか。そういったことに思いを巡らせてくれるのかと期待したものの、そんなことはなかった。

「職場改善の秘訣!退職をほのめかして気を引こう☆」ってつもりではなかったが、それにしてもあっさりしたもんだなと思った。私の意思が尊重されたというよりも、特にそれ以上話してもあかんのやろなと線を引かれたような気分になったものだ。(その後社長は課題意識を持ってめちゃくちゃ深堀りしてくれた。)

明石さんの記事にもあるが、サイボウズには退職したあとにも関わられる。

「自由な制度は、ゆるやかな囲い込みなんですよ。制度が柔軟じゃなければ、社員は辞めるか我慢して残るかの二択になってしまうけれど、限りなく自由な制度があれば、辞めるのではなくてその人なりの距離感で残ってくれるはずだから」。

そう、サイボウズの自由な制度は、私たち関わる人々がサイボウズに貢献しやすいように、その余白を残してくれる「ゆるやかな囲い込み」なのです。

 社員として働くか、辞めるか。辞めたらぷっつり離れるのか、違う形で関われるのか。どうしたいかは人の自由だが、その「自由」の余白を残している理念は、とても大事なものだと思う。辞めたあとも関わりたいと思える企業のあり方は、今の社会の中で重要な要素だと考えている。

medium.com

 

(参考)たくさんの書籍たち

エッセンスがつまりにつまった書籍も刊行されている。これらについては別に記事に感想を書き倒している。藤村さんの書籍は入院中に読んだため感想が書けていなかったことに気がついた。こちらも紹介したいので、改めて記事にする。

 

 どの書籍にも共通しているのが、「サイボウズも試行錯誤を重ねて今この形になっている」ということだ。うまくいかなかった、それこそブラック企業最前線だったところから、チームワークあふれるカイシャになるには、離職を防ぐためには…みたいなところを皮切りに制度と風土とツールがかけ合わされ、改良し、今こうなっている。アップデートは続いている。

他社がこの形をそっくりマネしてうまくいくわけではない。tips的に参考になることはあるが、その先どうしたいのかという根っこが必要だ。

サイボウズの経営、社員の意識の根底には、『チームワークあふれる社会を作る』ために、どこよりチームワークあふれる組織であるためにどうするべきかの試行錯誤がある。社長の青野さん、副社長の山田さんの視点の書籍と、マネージャーとしての藤村さんの書籍では当然のように視線が違うアプローチがあっておもしろい。具体的なチーム運営に触れている藤村さんの書籍は、一緒に働きたいと思わずには居られない一冊になっている。めちゃくちゃ楽しそうだ。

どの書籍もそれぞれの目線から、異なる内容にフォーカスを当てて書かれているが、どれを読んでも根底にある理念や大事にしていることが共通しているのがおもしろい。どれだけこの考えが浸透しているかがよくわかる。

 

最近の記事では、新型コロナウイルス対策を背景に増えたリモートでの働き方、コミュニケーションのあり方と向き合った上でアップデートされた考え方などが掲載されている。

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他社の話を聞く中でも、サイボウズで学んだことを踏まえると腹落ちすることが多くある。情報の透明性について、多くの組織がその重要性を説いている。サイボウズ式を紹介する記事なのでサイボウズ式のことばかり書いているが、サイボウズ式きっかけで知った他社の経営者、マネジャーから派生し、いろいろな立場の話をキャッチするようにもなった。それにしても、サイボウズ式は本当に多様な業界、立場の人の話を聞いている。おもしろい。

 

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余談/私はどう変わったのか。

紹介した記事はほんの少しで、他の記事も、それ以外のコンテンツからも、影響を受けている。自分の言語化できないところでも、静かに考えのアップデートがされている。

 

私はサイボウズ式に出会った当初に一度中途採用の応募をした。しかし、その時は「こんな環境で働けたらいいなぁ」が一番だった。何がしたいのか不明瞭のまま、ただその環境に憧れるだけで応募し、あっさり書類で落ちた。ただのファン応募にもほどがあった。

それからは自分の働き方について、自分がとれるアクションについて思いを馳せるようになる。私は最初に勤めた企業からずっと「本社管理部門」で働いている。経営者と近く、様々な意思決定を受けて手を動かす部門で育ってきた。

ここで私は、「上の人が決定をする。私は"担当者として、法律知識や、具体的作業をイメージして意見をする"」ことが役割だと思いこんでいた。言い換えると「何をやるかは偉い人が決めて、担当の俺が口出せるのは、細かい運用方法くらいだ」という深層心理があった。

そうしていつしか、事柄の決定に対して受け身で、それをどう運用するかだけ考えるようになっていた。物事が決定する前に提言することや、こちらから何かを提案するということを、無意識のうちに避けていた。決定内容に違和感を覚えたままで、時にブーブー言いつつ作業をする存在になっていた。

自分が違和感を覚えたなら、違うぞと思ったなら、それを言ってもいいんだ。言うべきなんだと考えを改めた。身近な上司が聞いてくれなければ、その上へ問を投げた。一人では難しそうであれば、仲間を見つけた。自分がやいのやいの発信することで、周りも「あ、これ言ってみたらええんかな」と思ってもらえるような雰囲気を作れるようになった。(と思う。)

自分はこう思う、ということを発信し続けることで、更に意見を求められるようになった。仲間が声をかけてくれるようになった。違う部署でも似た考えの人とも手を組みやすくなった。こうして、自分の戦えるフィールドが徐々に広がっていくようになった。今所属しているチームだけに閉じず、部署を超えてでもチームを組んでいけばいいじゃないかとも思えるようになった。

時を経て、再び中途採用の門戸を叩いた。今度は書類を通過し面接まで進んだが、どうにもうまく経験と今後についてをうまく言葉にできず、残念な結果に終わった。こんなに心底悔しい思いをしたのは久しぶりだ。面接だー!と浮足立っていた自分にも腹がたった。

それでも想いは捨てていない。今は引き続き自分の引き出しを増やしながら、サイボウズの掲げる理念、ミッションに自分がどう携わることができるのか、サイボウズで自分は何をしたいのか。ということを見つめ直している。 変な言い方だが、選考に落ちたことで一皮むけたような気もしている。

 

今、様々な取り組みを提案するにはもってこいの時期だ。社内で在宅勤務の情報交換のザツダン会を開いてみたり、全社がふらっと雑談できるteamsの場を作ってみたり、いろいろな縁が結びついて社内でサイボウズの方をお招きしたセミナーも開催することができた。

仕事のことばかりではない。先に挙げたキャスターの石倉さんの記事を読んで、石倉さんが代表をされているbosyuにも興味を持ち、少し活動している。これはまた追って記事にする。

bosyu.me

 

…今回、ちっぽけな一人の担当者がサイボウズ式に出会ったことで、ぐいぐいとチームに対して、組織に対してアプローチしていくような人間になった事実をまとめた。

当初は、自分の思っていることを代弁してくれているコンテンツに対し、そうだそうだ!と同意して気持ちよくなっていた。それを積極的に社内外に共有することで、「私も同感だ」という仲間も見つかり、「でごはこういう考えなんだな」という認知にも繋がった。そして、そうだそうだと同意するだけでなく、自分で意識や行動を変えるようにもなった。

このプチ広報活動(??)は引き続き続けていきたい。

本社の管理部門のメンバーというのは、周囲に相談しづらいことも多い。現場の人間に本社としての悩みって言いづらいし、そもそも部署の規模が小さく、自分と上司しかいない…みたいなこともザラだ。悩み=職場批判と思われてしまうのでは?と言い出せないこともあったし、日々目の前の事でアップアップにもなりがちだった。

ずっと管理部門で働いてきて、上記のような状態だった私がサイボウズ式と出会い、自分の行動を変えていった。この事実が、何かそういった方々への刺激になると嬉しい。

 

cybozushiki-meetup16.qloba.com

余談2:毎年参加したいと思いながら、日程の都合や入院事情で参加できなかったMeetupも、次回参加ができる見込みだ。

 

dego98.hatenablog.com