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しんどい時は「しんどい」という状態をまず尊重しようねという話

先日、Book&Appsでしんざきさんがこのような記事を書かれていた。

blog.tinect.jp

この記事で書きたいことは、大筋下記のような内容です。

他の誰かの悩みを聞いた時、「自分はその状況でそれ程辛くないから」「相手も大丈夫」という論法を「慰め」として使う人がいる

・痛みは決して相対化出来るものではなく、誰かの痛みの度合はその人だけにしか分からない

・「あなたの痛みはそんなに深くない筈」という論法は、しばしば相手の傷口をより深くえぐる

・だから、「誰かの痛みを他の誰かの痛みで相対化する」論法は慎重に扱った方がいい

・ちなみにこれは、自分に対してでも当てはまりますよね

・「もっと辛い人もいるから」と自分に言い聞かせ始めたら休み時

「俺はだいじょうぶだったから、あなたも大丈夫だよ」という言葉は、全く慰めになってない。 | Books&Apps

人が悩んでいることに対して、自分の経験などから「程度」を評価して発した「それくらい平気だよ」みたいなフォローは全く慰めにならないという話。

この記事を読んで、「そうそう、そうなんだよなあ」としみじみ思うことがあった。というのも、以前私が若干メンタル不調を起こしたとき、まさにこれで負のループに陥りかけたことがあるからだ。この記事では業務上での負荷、大変さの話だが、通じるところはあると思う。

当時ふとした事象で仕事の手が止まってしまった自分が、「誰かに相談したとしても『これくらい大したこと無いよ』と勝手に評価されてしまう」ことを恐れてしまい、より身動きが取れなくなってしまうループ。

以前別の媒体でも書いたけれど、少し整理してこちらにも書くことにした。

note.com

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不調のトリガー

以前、急に「仕事が手に付かない」状態に陥った。何かをやろうにも手が動かない、いや、「何かをやろう」という気すら湧いてこない。PCに向かっても「これからの仕事」を考えられないといった症状だった。

働いてきた中で、多かれ少なかれ「やる気でないなー」と思うシーンはあったけれど、今までのそれとは大きく違った。先週の会議がキツかったのか?上司との関係性がキツいのか?それはそうだが、そうではない。

一つの出来事が「原因」というわけではなく、とある出来事が「最後のひと押し」だっただけだ。よくコップに溜まった水などで例えられるけど、ほんの些細な出来事も、ひたひたに溜まった水を零す要因となる。

症状を話すと「何があったの」と聞かれるのが、かえって負担になった

あからさまな不調について相談すると、「何があったん?」といの一番に聞かれることが多くあった。そらそうだ。親身に聞いてもらえているのもわかる。「何かしてくれよう」としているのも、「解決策を考えよう」としてくれているのもわかる。そのために原因を聞こうとしてくれているのだ。原因がわかれば対処ができる。それは確かだ。

確かだが、その「原因」を絞り出すのが最初は負担だった。

会議で嫌な発言を受けたとか、大変な扱いを受けたとかは、あくまで「最後のひと押し」だっただけだから。その出来事を述べた瞬間、相手は「それが原因」だと解釈してしまうかもしれない。氷山の一角でしかないのに、「そんなことで」「それくらいのことで」と評価されてしまうかもしれない。

違うんだ、そんな些細なことの前に積もり積もったことがあるんだ。でも、そこを汲み取ってもらえるか?理解してもらえるか?それを説明しようとすればするほど、なんだかドツボに嵌ってしまう。

同時に、「こんな些細なことでメンタルを崩す自分はダメなのでは…?」という沼に足を取られていく。特にこんな症状になったのが初めての人であればあるほど、「あれ、話してみると些細だけど…こんなんでやられたらダメなんじゃね…?」と陥ってしまうかもしれない。

「あいつはあんなことでメンタルを崩したけど、こんなので崩していてはやっていけないよ」と影で言われているんじゃないか?なんて、言われてもいないことがどんどん不安になっていく。それでも体は動かない、思考は前に進んでいかない。どんどんと悪循環に陥っていく。

今起こっていることは何か

「なぜ」に向き合うことは大事だと思う。ただ、それは落ち着いてからでも良い。最初は「自分がどうなっているのか」に向き合って、事実を事実として受け止めるところが大事なんじゃないかなと思った。
無理矢理に「なぜ」を言葉としてひねり出すことで、「こんな些細なことでメンタルを崩しているのはおかしい」と自分自身に呪いをかけることになってしまう。「実際に今、心身に支障をきたしている」事実をなかったことにすると、呪いは余計に厄介なものに変貌していく。

「原因」よりも「状態」を尊重してもらえるとありがたい

このとき様々な対応を受けてわかったのは、「しんどい」と相談を受けた時は、その原因を聞いたり、評価したりするのではなく、「しんどい」という事実をまず受け止めることが大事なんだということ。今異常が起きているんだな、とわかってもらえるだけでもいい。

何かしらが原因でそうなっているのだろうけど、心や体が「しんどい」と叫んでいることを自分も、第三者もちゃんと認めることで、ようやくスタートラインに立てる。

このあたりは、専門家(産業医やカウンセラー)の対応がとても勉強になった。今どんなことが起きているのかを丁寧に受け入れてくれて、「なぜ」を問う際も基本的には「それはしんどいなぁ」と、「原因」→「状態」の結びつきを尊重してくれた。原因を「評価」しないでいてくれた。

人事職をしていて、メンタルで休みに入ってしまう方の話はちょくちょく聞いてきたけど、「ありがたい対応」と「余計追い詰める」対応を自分で経験できたのは大きかった。

大変なもんは大変だし、つらいもんはつらい。めちゃくちゃしんどそうな人を見かけたとき、「そんなもんでしんどいなんて言ってちゃあダメ」というのは、巡り巡って自分にも呪いをかけてしまう

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しんざきさんの記事を読んで

繰り返しになりますが、最初に紹介した記事では業務の大変さを訴える若手の事例を取り上げていました。

例えば「仕事が回らない」という状況にしたって、バックボーンは一人ひとり違うわけです。

処理能力も違えば、スキルも、仕事をする時に求められる足場の状況だって違う。更に言えば、性格だって気質だって、今まで育ってきた環境だってまるで違う。

となると、「仕事が回らない」ということの辛さを、他人が推し量れるわけがないんです。

であれば、「しんどいです」という感情については、まずは「そうなのか」と尊重してあげなくてはならない。

「俺にはその痛みは具体的には分からないけれど、君が辛いのは分かった」というところがスタート地点にならないといけないわけです。

「俺はだいじょうぶだったから、あなたも大丈夫だよ」という言葉は、全く慰めになってない。 | Books&Apps

何か相談を受けた時、誰かが困っている時、すぐに解決をしようとするのではなく、まず相談者の状態を尊重すること。別に「共感」までしてほしいわけではない。仕事でも私生活でも、この辺大事にしていかなきゃなと思うのでした。