「リモートワークでは空気感が共有できない」
「リモートワークではクリエイティブな仕事ができない。一人で完結できる仕事をしてもらうしかなく、なんならそれは業務委託でも良い気がする」
新型コロナウイルスの影響で在宅勤務が進む頃、今後の方向性を考えていたときの上司の発言に首をかしげることが多くあった。これらの決めつけはどういったところからくるのか。見ている視点が違いすぎるな…と今思い返すだけでスッと感情が冷えてしまう。
急ごしらえの在宅勤務で様々な弊害に遭遇することはあったが、在宅勤務も併用する形で事業運営をしていこうと経営判断がなされたはずだった。
…そうなっていてもなお、「在宅ではクリエイティブな議論ができない」「在宅では社員の様子がわからない」と、やってもいないのに決めつけられてしまう。他社がリモート状況でもうまくいってる事例を知っているからこそ、やってもないのに決めつけられるのが尚更もやもやする。(他社のやり方をそっくりそのままやればいいわけではないが)
こちらがいくらテキストのコミュニケーションを増やそうとしても、いわゆる他社事例を研究して提案したとしても、そもそもの「働き方」の土壌をアップデートしてくれない限り、新たなステージに立つことはできないのかもしれない。
そのアップデートを提案してくれるのが今回紹介する本、「会社には行かない」だ。
株式会社キャスターは全員がフルリモートで働く会社だ。その経験から気づいたこと、必要なこと、冒頭に書いたような「誤解」を説くような内容となっている。
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「リモート」が課題ではなく、そもそも「ワーク」が課題
私は人事担当をやっているが、コロナ以前からリモートの話があがるたびに「いやー勤怠管理ができないよね!」「仕事が見えなくなるとつらいよね!」などの意見をよく聞いていた。実際、急遽リモートが混在するようになった時に特に言われるようになった。
もっともらしく聞こえるが、何をもって「今までは勤怠管理ができていて」、何をもって「仕事を見ていた」のか。実はこれが曖昧だったりする。会社にいたからって管理職が全員の働きに目を光らせているわけでもないし、仕事の評価だって半期振り返りの時にどこまで見てくれていたのか?そもそも何を仕事の評価としてくれているのか?が曖昧だったりする。
同じオフィスで働いているから、「見えているもの」だとなんとなーく思っていたのではないだろうか。これってリモート以前の問題を、リモートのせいに押し付けようとしているのではないだろうか。もともと出社しているときから、36協定の管理もまぁまぁ危なかった部門があった。何を持って「管理」と言うのだろう。
そもそも何をしたら評価されるのか
リモートだから問題になったのではなく、リモートになったことで「今までできていなかったことが顕在化した」と言われているし、実際そう思う。(言われていれば良い方で、「リモートのせい」で結論付けられるケースも多いだろうとは思う)
以前も書いたが、評価制度の運用というのがなかなか難しい。「何を目標に」するかがバラバラで、また「何をしたら評価されるのか」も曖昧なことが多いからだ。
「これをやる」という目標に対して、進捗はどうなっているのか、それに足りない部分をどうしたらいいのか。書いてみるとシンプルだが、それがそもそもできてないケースが多いのではないか。目標立ててほったらかしパターンだと、そもそも日々部下の働きぶりをほったらかしているだろうに、そういった人ほどリモートになると突然「部下が見えないと何をしているかわからない」と言い出しているようにも思える。あなたがいつも見ているのは「姿」だけなのでは…。
普段から仕事についてのコミュニケーションが希薄だと、リモートになると更に希薄になるのは当然の結果だろうと思う。
姿が見えないからこそ、コミュニケーションが必要になる
「オフィスであればちょっと声をかけることはできるが、リモートになるといちいち『zoom設定いいすか、○時から…』ってしなきゃいけないから難儀だ」
と言われたことがあって、「はい??」と思う場面があった。私は石倉さん始めキャスター(主にbosyuチームの方々)の働き方や、サイボウズの働き方にふれる機会も多く、気兼ねなくチャットやビデオ通話でホイホイ雑談したり業務相談をしたりしているのを見てきたから尚更だ。
また、私自身部署のグループチャットを積極的に使ったり、全社的に雑談ができる場所を作ってワイガヤやったりしているため、「いや、個人的に隣にいないときでもホイと聞けるようになったんスけど…」という思いでいっぱいだった。気軽に相談できるようにしちゃえばいいじゃん。
どちらかと言えば、リモートワークにより「オンラインでのコミュニケーション」が必要となっている状況では、マネージャークラスこそ積極的にコミュニケーションを取りにいく必要があるのではないかと思う。部下が些細な相談をしやすい環境や、なんなら業務以外のことも話してコミュニケーション総量を増やせる仕組みづくりをすることで、自ずと「部下の様子がわかる」ようになる。
大事なのは「そういった決まり」をギチギチに作るのではなく、自らが働きかけて、みんなが自分たちのペースでコミュニケーションを取ることが大事かなと思う。
リモートワークは相手を安心させられることが最大の価値になる
今までのように、上司は席で報告されるのをずっしり待つだけでなく、情報を取りに行くことが求められる…というか、情報が勝手に報告される環境を作って、そこをチェックすればだいぶ気が楽になる。
一方で、部下としては…部下というか、同じチームとしては「情報をきっちり届ける」ことも必要になる。見出しどおり、相手を安心させること。
今取り掛かっていることを報告したり、困ったことを困ったと即時に伝えたり…といった、相手が見えないからこその心配りや、情報・状況の共有により仕事を依頼してきた人を安心させることが求められ…るってこれ、リモートじゃなくても求められるスキルだけど、これらのいわば「当たり前」っぽいことがちゃんとできることが大きな価値になる。
リモートワークがうまくいかなくなる最大の理由は「疑心暗鬼」だ。マネージャーが部下を監視するようにしたり、ヤンデレ気味に業務進捗を確認するようにしたり、こういったことが続くとリモートワークはうまく進まなくなる。
お互いが安心して働けるように、「やるべきこと」を明確にし、「適宜情報・状況の共有」をすることで相手に安心感を与えながら働くことが必要だ。
働く場所の自由≠働く時間も自由
「働く場所が自由になる!よーしフレックスを導入しなきゃ!!」と場所と時間をセットで自由にしたくなっちゃうのはなんだろう。もれなく私の上司もノリノリだった。この本に出てくる「間違った認識」、ことごとく上司が網羅していていっそウケてしまうな。
これはおそらく「いつでも働けてしまう」ことの弊害に対して、「実態に合わせた勤務制度にしよう」という流れなのかもしれない。こうなると余計に「管理しづらい」が加速するのだが…。
違う場所で働いているだけなんだから、時間は同じでもいいのではと思う。東京・大阪で事業所が離れているけど同じ時間で働いてますよね?そこに「自宅」が加わっただけですよね?ということだと思う。
あるいは、「在宅」で働けることで、お迎えなど時間に限りがあったりする親たちを働きやすくさせたい意味があるのかもしれない。それはそれで柔軟な対応をすればいいけど、何も全社員フルフレックス!にする必要はないのではないかと。あと、育児の在宅=深夜みたいな考えもめちゃくちゃ強い。
まずは「場所が違うだけで、この時間は基本的に働いている」にしたほうが導入はしやすいのではないかな、というのにはまったくもって同感だった。リモートワークって、ホント働いてる事業所が違うだけ、ちょっとオンラインでのやり取りが増えただけ…みたいな認識なんですよね…。チャットの民である私にとってはやりやすくて仕方がないのに、部署のみんなは固執してチャットには事務連絡しか書いてくれない。(私の日常ぼやきチャットだけが記録されていく…w)
「チャットを見る時間がない」という発言、もはや仕事のコミュニケーションがどれだけ優先されてないかの象徴ではないのかしら。(他部署とチャットで綿密に打ち合わせをしてさっさと企画を動かしたりしつつ…)
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弱者のためのリモートワークではない
「あくまでオフィスに週5フルタイム出社できる人」が基本で、それができない人向けの制度…といった形が多くの企業の当たり前になっているように思う。しかしどうだろう、仕事自体はバリッバリにできるけど、「出社」がそもそもハードルだったり、「週5」がハードルだったりするというだけで、待遇が低い雇用形態にならざるを得なかったり、そもそも雇われる機会を失ったりしているのは、なんともったいないことだろう。
様々な「働ける条件」を持つ人達が、その条件下ならフルでパフォーマンスを発揮できるなら、それを活かせる機会があるほうが良い。オフィス週5が大前提だったら見つけられなかった人が、リモートでもいいよとなれば見つかって、大活躍してくれる!!なんてケースはそこらじゅうで発生しているのだと思う。
週5フルタイムのフルコミットじゃないと雇わない!みたいなことに固執していると、「それができなくなった」方を泣く泣く戦力外にしなくてはならない。管理職は出社が大前提とか、全国転勤できなければ管理職になれないとか、正社員になれないとか、そういった事案はゴロゴロある。
「働き方」と「キャリアプラン」は切り離すべき、と本書でも述べられているが、まさにそう。これこそ最初に戻るが「何が成果で、何が評価されるのか」さえはっきりしていれば、出社しようがリモートだろうが「期待される役割」を果たせさえすればいいのではないか。
社員が如何に「課せられた役割」に対してパフォーマンスを発揮するかが大事なのに、その働き方や、働ける条件などにばかり固執してしまって、「パフォーマンスを発揮しづらい」環境づくりばかりの会社は多くあるんじゃないかなーと思った。かくいう私のいる環境もそれに近い。管理職の思想を放っておくと、どんどんギチギチになっていく。なんで社員の足を引っ張る施策ばかり思いついてしまうのか…それを説得していくのがまぁまぁつらい。私は何と戦っているのか…?
当たり前のことを当たり前に
石倉さんは以前講演で「仕事は当たり前のことをきちんとやることが評価される」時代が来ている。とおっしゃっていて、その後もツイートや本書の中でもそれに触れていらっしゃいます。
本当は今までも当たり前のことが当たり前に動いてる価値は高かったんだけど、オフィスで働いてると物理的な姿が見えることが邪魔して、ほんとうにちゃんとやってることの価値が隠れてしまいがちだったんですよね。
— 石倉秀明 | コミュ力なんていらない & 会社には行かない (@kohide_I) 2020年9月11日
だからこそ「普通の人が再評価されるこれからの働き方」なんです#会社には行かない
普段の仕事の中には、そりゃあ「抜きん出てすごい仕事」もあるけど、その何十倍も「普通に遂行している仕事」がある。バックオフィスにいる私は特に共感した。「新しい制度を作った!」だとか「新しい施策を形にした!」とか、目立つ仕事こそが大事だと言われてきたが、「普通のことを普通にやる」ことをきちんと評価されたことはなかった。
「給与計算はミスしなくて当たり前」というのは、給与計算をしたことがない人の発言だと思っている(笑)
なんというか、こういった「当たり前のことをきちんとやる」とか「当たり前の部分をより精度を高める、心地よく仕事をすすめる」みたいな部分にフォーカスを当ててもらえがのが、とても嬉しかったのを覚えている。私が大事にしてきたのは、そういった部分だったから。
そういったことに価値があるんだな、それをもっともっと活かして、これからの働き方の中で活かしていきたいなと思った次第でした。
というわけで、一社に一冊、管理職に一冊、この本をおすすめします。
あ。同時にこちらの「最軽量のマネジメント」もですね、通ずる内容がたくさんあります。いやー、私、サイボウズやキャスターに出会ってきてとてもよかったと思います。こういった考えを持つ方々と働きたい…。