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放課後さいころ倶楽部 最終話と全体の感想 キャラクターとボドゲにロールを与えて展開を生み出していた感が拭えなかった

いよいよ最終回。アニメ感想を全話書ききるなんて久しぶりにやった。

終業式の日。美姫は、綾、翠、エミーと出会えたことでとても楽しい一年間だったと振り返る。だが二年生になればクラスが変わってしまう。それが寂しくてずっとこのままでいたいと思う美姫だったが、翠も綾もエミーも将来の夢に向かって歩み始めていた。立ち止まっているのは自分だけと感じた美姫は一人取り残されたような疎外感に見舞われてしまうのだが……。

アニメ『放課後さいころ倶楽部』公式サイト|STORY

今回登場したゲーム 

ナンジャモンジャ

カードゲーム ナンジャモンジャ・ミドリ

オープニングにも登場して目立っていた作品がついに登場。まさか思い出リンクしてくるとは思わなかった。キャラに名前をつけてそれを呼んであげるゲーム。


【闇のゲーム】声優が全力で『ナンジャモンジャ』をやるとこうなる

 

超楽しそうに遊んでいる様子はこちら。ネーミングセンスが問われますね。

 

今回の京都

特に新しい場所はなかったかな?

鴨川デルタ、四条通ジュンク堂)、新京極商店街あたりが登場していましたね。 

 …ということで今作の聖地マップ(仮)はこんなところかな。原作にはもっといろんな場所が登場しているのかもしれないなぁ。

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お話の感想 

前回の挑戦を経てさらなる挑戦をしていくのかもしれない翠、いずれ故郷に帰ってしまうかもしれないエミィ、わくわくアニマル紀行の綾(?)、今のこの関係がどんどん変わってしまうかもしれない。私は何も変わらないのがいいのかもしれない。そういったお話。

こういった話に出くわすと、決まって私はARIAの「オレンジな日々」(アニメ題:そのオレンジの日々を…」を思い出します。原作もアニメも素晴らしかった1話。

ARIA 完全版 ARIA The MASTERPIECE 4 (BLADE COMICS)

「3人でいることが当たり前ではなくなる日が…来ちゃうんですね…」

「確かに…今のままではいられないと思う。ときに優しく時に残酷に時間はすべてを変えていくものだから。…でも少なくとも私にとっては今だってまんざらじゃないわよ。可愛い後輩たちができたし。」

「うん あの頃の楽しさに囚われて今の楽しさが見えなくなっちゃもったいないものね。"あの頃は楽しかった"じゃなくて"あの頃も楽しかった"…よね」

「きっと本当に楽しいことって比べるものじゃないよね」

「あっ。でもワンポイントアドバイス今楽しいと思えることは、今が一番楽しめるのよ。だからいずれは変わっていく今を、この素敵な時間を――大切に…ね」

ARIA Navigation36 オレンジな日々 より

 

…ちょっと今回の話における着地点とはちょっと異なるんですけど、こういう「変わりゆく日々や関係性を憂う」気持ちについてのアンサーはアリシアさんが教えてくれましたみたいなところがあります。(名曲:シンフォニーを口ずさみながら)

シンフォニー

シンフォニー

  • provided courtesy of iTunes

美樹もみんなにとっても特別に無事になれていて、置いていかれてないよ的な感じでしたけど、やっぱり今やりたいことを楽しんでいることは最強であって、その上で関係性が続いていけばいいよねと思うし、今こそ楽しめることを楽しんでいきましょうね。

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全12話見終えて

ボドゲ好きとしてはいろんなボドゲがリアルに登場して、また馴染みある京都も登場して楽しいな!と思いながら見始めていました。知っているゲームが登場して、作中に絡まなくても背景資料にあるだけで興奮できました。

 

とはいえ。…12話見終え、感想記事も走りきった上で言うのもなんですが、思ったよりも話に入れこめなかったなぁという感想が最初に来てしまう。ボドゲの楽しさに焦点を置いてしまったからかもしれない。このアニメの本質は、ボドゲの紹介でも、ボドゲのおもしろさを語り尽くすわけでもなく、ボドゲを媒介としながら人間関係やその成長を描くアニメだった。…だったとはいえ、そう昇華しきれたのかというと疑問が残ります。

「今回この人物がこう悩んで、それを解決するためのボードゲームです。この人物が火付け役、なだめ役、ひらめきを与える役です。」
そんな役割(ロール)が与えられ、ボードゲームがギミックとして登場し、話を成り立たせていくような…いやいや作品、脚本というものはそういうものなのですが、それがありありと見えてしまったような印象が強く残ってしまった。

ボードゲームを、ドラえもんひみつ道具みたいな位置づけで使っていたんじゃない?と。親との心の距離で悩んでしまった?そんなときは、\ブロックス~!/

ブロックス BJV44

ボードゲームがベースににある性質上仕方がないのですが、キャラクターの動きが表現しづらく、どうしても「会話」や「ボドゲ体験」によってしか物語を動かせないからなのかもしれないなと思います。そんなボドゲ描写もハイライトが多いときた。

ボードゲームが「劇中で起こる課題を解決するためのギミック」になってしまったことで、彼女たちがボードゲームを遊ぶことが、「それを楽しんでいる」ことよりも「これで何が導き出されるプロセス」にシフトしてしまっていたから、私は…物足りなさを感じたのかもしれません。あと翠のゲーム説明も全然頭に入らんかった…スラスラすぎる…。

気づきの手段にするならするで、これでもかと気づきを与えまくって、めちゃめちゃ成長しても気持ちよかったけれど、ちょっとどっちつかずになってしまったんじゃないかな。これは原作のほうがうまく描写できるんじゃないだろうか。ゲーム進行における心理描写にかけられる時間がきっと多くて、その中の気付きや発見もちょうどよく描き切れる。アニメだとスラスラと進んでしまい、テンポがよくなる一方で「ゲーム進行」と「心情描写」の平衡バランスが難しいんじゃないかなぁ~…。

 

…と、これはボドゲに期待しまくっていた視点での感想かもしれません。原作派が「さてどう原作を料理してくれるのかな~」とワクワクするような、地元が聖地のアニメを見る人が「地元がどんなふうに紹介されるのかな~」とワクワクするような、ちょっと真正面からではない角度で作品を楽しもうとしていた姿勢があったのかもしれません。

それを差し引いて、女子高生がボドゲに出会って成長していく物語として見ていくと…。見ていくと…。やっぱりそれは、ちょっと狭い範囲だったかなぁ…。ボドゲというアイテムが世界を広げているような、…しかしボドゲに閉じてしまったような。ボドゲ以外の要素にももっと触れてよかったかもしれない。彼女らのいろんなシーンをもっと見たかったなぁ。

 

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余談

友人と一緒にボドゲを遊んだら、ドブルをいたく気に入ってくれて、それ以降小さなお子様とめちゃめちゃ遊ぶようになったそうです。パパとして、娘のごっこ遊びやシルバニアなどはなんか感性が…という中で、お互いに向き合って熱中できる遊びとして、ドブルのようなボードゲームはめちゃくちゃよかったみたい。

ドブル (Dobble) 日本語版 カードゲーム

一緒にテレビを見て遊べるテレビゲームの良さもあるけれど、参加者が向き合って一緒に遊べるというのはボードゲームの魅力なんだなぁと改めて思えるエピソードでした。