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自分が内側から生まれてくる感覚の追体験。"気づき"はドラマチックだ。ブルーピリオドを6巻まで読んだ感想

友人から勧められて読んだブルーピリオド、当初は1巻がkindleで無料だったのでホイと読んで、気がついたら最新6巻まで追いついていました。(12/3現在1巻はセール中みたいです。まとめ買いでも割引がありますよ。カラーページがあるので、iPhoneiPadなどで読むのがオススメかも。kindleもカラー対応ありましたっけ…?)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 成績優秀かつスクールカースト上位の充実した毎日を送りつつ、どこか空虚な焦燥感を感じて生きる高校生・矢口八虎(やぐち やとら)は、ある日、一枚の絵に心奪われる。その衝撃は八虎を駆り立て、美しくも厳しい美術の世界へ身を投じていく。美術のノウハウうんちく満載、美大を目指して青春を燃やすスポ根受験物語、八虎と仲間たちは「好きなこと」を支えに未来を目指す!

 …と激熱なあらすじですが、空気を読んでいい感じに色々と世渡りし、どこか冷めたようにタスクをこなしていた主人公が、一枚の絵に出会うことで始まる物語。芸術というフィールドをロジカルに、「そういうこと考えてるんだな」ってことも読者に紹介しながら展開されていきます。

美大の受験事情や、芸術に関する技法ノウハウ、人間関係等、様々な見どころがこの作品にはありますが、私が何よりこの作品に惹きつけられたのは、"気づき"が力強く描かれているからなのだと思います。"気づき"とは些細なことのように見えて、想像を遥かに超えるドラマチックさを持ちます。ここで言うそれは"絵の技術的な気づき"ということではなく、芸術の世界に足を踏み入れた主人公、八虎が――人に合わせ、飄々と世渡りをしてきた彼が――自分の見える世界や、好きなもの、コトを表現するということに直面するにつれブチあたる挫折や、改めて向き合うことになる自分の弱さに対しての"気づき"が、丁寧に、かつドラマチックに描かれている。

気づいたことからの昇華…ブレイクスルー、その喜びが瑞々しく、また激しく情熱的に描かれていることに、私は心を揺さぶられる。何よりも、八虎の「なにもない」と思っていたことが、八虎が努力で隠そうとしてきた自分というのが、何よりも彼の武器になっているのだと言い換えられること。それを表現すればよいのだと気づく瞬間が、どうにも私の胸を打ったのでした。気づきに震え、視野が広がり、行動が変わっていく。思考が冴え渡っていく。その感覚を追走できることにゾクゾクする。気づきはドラマチックだ。

 ここからは最新6巻の話も折り込みながら話を進めていきます。

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ブルーピリオド(6) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(6) (アフタヌーンコミックス)

 

 八虎が「物事をタスクやミッションと捉え、努力して"難なくこなしている"」という人物であることから「じゃあ自分のやりたいこととは」「好きなこととは」…という、自分の欲や感動といったことを起点にしているのが肝ですよね。自分が本当に夢中になれることはなんだろう。自分が好きだと思うことを好きだということの恐怖。そう言い換えられるかもしれません。

芸術というのはある意味で自分の世界をどんどんと排出するものであり、自分の思いや考えをアウトプットすることに向き合わざるを得ないもの。そのための技術といった引き出しはもちろん必要ですが、八虎は何を表現したいのか、できるのか。そういった部分での挫折や苦悩といったことに何度も何度もぶち当たります。それでも繰り返し繰り返し気がつく原点が最初から描かれている、ということが非常にうまい。とどのつまりは、"自分が見ている世界”を出すことに尽きる。

矢口さんは周りに少し気を遣いすぎるところがあるように見えます。私はね、世間的な価値じゃなくて君にとって価値のあるものが知りたいんです。

ブルーピリオド1巻 1筆目「絵を描く悦(よろこ)びに目覚めてみた」より

 

佐伯先生は時にヒュンとなることをおっしゃる。

頑張れない子は好きなことができない子でしたよ。

好きなことに人生の一番大きなウェイトを置くのって普通のことじゃないでしょうか?

 ブルーピリオド1巻 2筆目「有意義な時間」より

 

八虎は自分に自信を持てないからこそ理論武装し、人に合わせることで自分を守ってきた。自分が見ている世界、自分という存在を凡庸と評価していた。ただ、予備校の面々とのやり取りや先生との会話の中で、自分の中の当たり前は他人にとってはそうではないということに気付かされる。そのうえで、それが着々と自信として積み上げられていく。

自分が「普通」だと思っていることは案外「その人らしさ」だったりするのよ

でも自分にとっての「普通」はみんなにとっても「普通」だと思っちゃうから一人でソレに気づけないのよ

 ブルーピリオド5巻 19筆目「らしくねーよ」より

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良い子として済ませてきた、なんとなく色々こなせていた八虎。”何も持たない物"だったように見えて、自分には自分の感性があり、しかしそれを表現しきれず、できるかと思えば手段でこなそうとして好きを見失ったり、立ち返って自分らしさが出せるようになり、またその自分らしさの凡庸さに気がついたり、殻を破れずにいたり…とぐるぐる繰り返していく。技術的な発見と成長は良いとして、じゃあそれをどう武器にするのか。柔軟な発想の乏しさに直面したり、課題に対して真っ直ぐに返すしかできない、いわゆる"良い子ちゃん"のように返してしまう。自分勝手さってなんだ?相手の求めるもの、試験で求められる回答に迎合してきた、まっとうな努力をしてきた彼には破るのが難しい殻もたくさんある。だからこそ"これでいいのか?"と。立ち止まってしまう。

しかし、そこには彼がまがりなりにも歩んできて、努力して、色を、絵の具を塗り重ねてきたかのように生まれた彼なりの色も生まれている。上塗りしてきただけではなく、下地としてある彼の個性。それに改めて気付かされるのが、初めての気づきをもたせてくれた森先輩の言葉。

あなたが青く見えるなら

りんごもうさぎの体も青くていいんだよ

 ブルーピリオド6巻 23筆目「こっから2次試験開始」より

 んっほー!!!

いろいろ堂々巡りのように、いや、螺旋階段のようにぐるぐると彷徨っていた八虎が窮地の窮地でたどり着くのが1巻の森先輩いう展開が最っ高…!

 

 結局の所、何に心動かされるのかといえば、自己肯定というところなのかもしれません。自分が好きだなと思うことは、自分が心動かされるソレは、当たり前のように思っている感性は、実は特別なものかもしれない。何も無いと思っていた自分も、何かに言い換えられるのかもしれない。人にとっては特別なのかもしれない。

それはほんの些細なきっかけで気づくこともあるかもしれないし、何かをやってみて初めて出会うのかもしれないし、何かと向き合って向き合って向き合ってようやく見つけ出せるものなのかもしれない。

 芸術というフィールドで、絵を媒介として表現するとまでは言わなくても、行動であったり、"何かの選択"であったり、自分だからこそ見える視点で、自分だからこそとった行動に自信を持って、認めてあげよう。誰かが反応してくれなくても、自分の中に気づきがあるかもしれない。誰かが気づいてくれたらとっても嬉しいと思う。そうやって、自分の中から自分が生まれてくる。

この作品を通して、そういった体験ができたように思います。

ずっと俺が凡人だから 自分に自信がないから努力して戦略練ってやんなきゃって思ってた

でもコンプレックスの裏返しじゃなくって

"努力と戦略"は俺の武器だと思ってもいいの?

ブルーピリオド6巻 24筆目「色づき始めた自分」より