「会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。」を読みました。
会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。
- 作者: 青野慶久
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2018/03/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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大学生や、「今のカイシャなんだかなー」みたいに思っている人にはぜひ読んでほしいですね。
たびたびサイボウズさんの話はブログでも話題に挙げてきましたけど、私の中の考え方も着々とアップデートされている気がします。
私はこの本の中身をまとめて感想に書くことができないので、エッセンスを一つ一つ、自分に結び付けて書きとめていきたいなぁと思います。今回は「すごい雇用」について。
「多様な働き方」って、在宅とか時短とかの制度面の話に行きがちだけど、「その事業が行っていることに対して、どのように関与し働いてもらうか」という体制を整えるかなのだと思う。「9時から18時まで(アンド残業して)会社に来てくれる人しかダメなんです」みたいな会社が今後永らえられるのか?
— でご (@dego98) 2018年3月14日
育児や介護で特定の時間しか働けません、とか障害があるのでこういった作業はできませんがこれはできます、とか、結局カイシャはその事業を行うことが目的なんだから、それさえできれば、働き方なんて一律じゃなくていいんだという考え方。
— でご (@dego98) 2018年3月14日
「会社というモンスターが、僕達を不幸にしているのかもしれない。」の中で、青野社長はそれを「すごい雇用」という言い方をしている。時間や物理的な制限があってもやることはやれるって環境と体制を築いている会社は、労働人口が減ってくこれからも強い。https://t.co/DadwxzjV3u
— でご (@dego98) 2018年3月14日
「すごい雇用」という言葉が出てきます。
すごくない雇用と、すごい雇用。この考え方がおもしろい。
すごくない雇用というのは、優秀な人…経営にとって都合の良い人を採用する雇用としています。
育児や介護によってフルタイムが難しい方には時短勤務などの整備が義務付けられているけれど、それでもやっぱりそれはあくまでイレギュラーという考えで、そういった働き方がどうしてもマイナスになってしまうような雇用のことかなと思います。心身に障害があろうものなら、「うちではできませんね」と突っぱねてしまうようなこともある。
とはいえ、事業の目的というのは、「社員を8時間働かせる」ことではなくて、それを通じて何かしらの成果を出し、誰かしらの役に立つこと。それを売上や利益につなげていくこと。
…という本質に立ち返ったとき、
「必ずしも毎日9時に出社する必要があるのか」
「時間の制限がある人も、その限られた時間でできることはあるんじゃないか」
「というかリモートでできる仕事もあるんじゃないのか」
「障害があったとて、この成果物を達成できるならなんら問題ないんじゃないか」
そのあたりを考えられると、雇用の機会は増えていくのだと思います。それはつまり、今言われている「多様な働き方を受け入れる」ということ。
「すごい雇用」のことは、そういった「他のカイシャでは採用されにくい人」や「制限がある人」を雇用することだと著書では解説しています。そういった方々をどう受け入れるかという工夫も大事だし、マネジメントに求められる要件も相当難しい。
8時間オフィスで働かせるということが目的になってしまっていて
何もそうじゃなくてもできることはあるよね、という考えが停止しがちになっていませんでしょうか。
リモートワークの話が社内で挙がった際に、「いやあ、やっぱり会社に来て人と話さないと仕事はできませんよ」って言うおじちゃま、社内にいませんか?
これはきっと、「労働×時間」をしていれば報われていた時代の名残なのでしょう。黙々と我慢してやることをやっていればそれが成果になる時代の名残。それが転じて、そうしないと不安になってしまう経営者や労働者を大量に生産してしまった時代でもあるのかもしれません。
もちろん、毎日どこぞに出社しないとできない仕事はあります。現場に出ないといけない仕事もある。けれど、みんなが同じ働き方をしないといけないかというと、そうではない。いろんな働き方を受け入れるということは、「この結果さえ出そうとするのであれば、そのための手段は柔軟に考えていこう」という体制や意識が築けているのだと思います。
これから労働人口も減っていき、今でさえ人手不足が言われている社会において、「フルタイムで働ける人しか採用しません!このカイシャに尽くしてください!」みたいなことをしていると、パフォーマンスは出せるのにフルタイムは難しい人は早々に踵を返すし、フルタイムで働けなくなった瞬間に評価されなくなって辞めてしまうかもしれないし、なんというか、そういったカイシャは徐々に淘汰されていきそうだなぁという考えを抱きました。
IT技術の発展によって仕事がコンピューターに置きかえられちゃうかもしれない!と危機感を持つ声が多くあがりますけど、それこそ多様な働き方が生まれるチャンスだと思うんですよね。今までめちゃめちゃ人手を使わないとできなかった「作業」がすぐにできるようになるなら、空いた時間で違う仕事ができる。仕事の先には「この成果を出す」みたいな目的があって、その手段が人から機械に変わるだけであり、「置き換わったら困る」というのは、目的と手段が見失われている状況に近いんじゃないかな、なんて思いました。
会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。
- 作者: 青野慶久
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2018/03/01
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いやはや、それにしても今までの日本のカイシャのあり方を、「働き方」という視点で見ていくとこんな分析ができるんだなぁと発見ばかりでおもしろかったです。
終身雇用の功罪というか、「ずっと我慢していれば将来的になんとなく報われる」みたいなことは確かにあるかもしれないけれど、「報われる」ってことも本当に人それぞれだし、終身雇用のあり方の中では、逆に長く働かないと報われない仕組みにもなっていて、これはなかなかやっかいですよね。長いこと働いて、そのカイシャでしか使えないスキルを身に着けている内に勝手にカイシャがコケるかもしれない。
「そのカイシャでしか通用しない人材を大量生産し続けていた」なんて考え、ほんとゾッとする。私も一社目から転職を考えた時、転職サイトの求人を見ていて「世の中で求められている経験と、今まで自分がやってきた経験の差」みたいなものに恐怖すら覚えましたからね…。あの経験は自分の中でも大きく役立っている気がします。
うーん、考えれば考えるほど「カイシャに勤める」意識よりも「自分がどう働くか」の意識を忘れないようにすることが大事だなぁと思わされますね。